すぐに出れない
捕まった当初は「事情聴取されてすぐ出れるだろう」位に考えていたが、連日の聴取の中でひとまず一週間ほどの拘留期限を延ばすために裁判所へ連れていかれそれを延ばすための手続きをなされるがままにした。聴取ではかなりの数の関係者にも行われていた様子で警察は隅々まで把握していた。しかしずっとあったのは「何故自分だけこんな目に・・」という思いだった。
いつまで拘留されるのか・・
いわゆる留置場は混んでいる様子で「相部屋に移ってくれ」と言われた。正直最初一人部屋だったのでそこそこ居心地は良かったのだが、相部屋となると気が休まらない。入った部屋の入所者は「私は窃盗癖があった何回も入ってる」という常連さんだった。どうも金属ケーブル等を数人で盗んだ様子だ。まだ自分よりも一回りは若い人だった。かなり詳しくて起訴になって裁判になり刑務所へ行くという流れも初めて知った。
検察での複数回の聴取の後、検察官からは「まあ、初犯だから執行猶予になるから」と変に慰められていた。
起訴か不起訴か・・これが重要
後日、普通に留置場の刑務官が「起訴になったから」と言われた。そんな重要な内容を個別ではなく普通に言い渡された。こうなると裁判が終わるまで出れない事になる。時期は11月下旬となっていた。同居人に聞けば裁判は相当ゆっくり進むし、年末年始はガッツリ休みになるので年明けになるのではないか、と言われた。
このままここで年を越すことになるのか・・下手したらそのまま刑務所に行くことになるのか・・
自分がやっていた仕事の事や家族やいろいろが今、どんな状況に陥っているのか考え出したら発狂しそうだった。体調的には捕まった際に処方された薬を日々飲まされていたので大丈夫だった。
留置場の隣の人とも仲良くなり、というのは数日おきの朝の髭剃りタイムや壁越しの会話などで話した。同居人はよく食べる人で、私は朝いきなりまずいパンを出されても全部食えなかったのであげていた。
そのに長い事いる人たちは保釈すらされない人たちだった様だ。保釈金が出せないのだろう。その同居人は「留置場より刑務所の方が居心地がいい」と言っていた。何がいいのか理解は出来なかった。
聴取も一通り終わった状況なので、日々やることがなく本当に食事が待ち遠しい生活になっていた。
弁護士との面会で
定期的に弁護士先生が来てくれて、外の状況はある程度把握できた。保釈申請をするから、と言われちょうど民事の裁判で該当する口座の残金を預けていたのでその中から保釈金を払うという話になり、どうも保釈金は裁判が終われば返ってくるとの事なので安心して任せた。
しかし「〇日には出れるようにするから」と言われたのに、なんの告知もない、後日また弁護士先生が来て「どうも検察が裁判所に申請を許可しないように反論している為出れない」というのだ。
「そんな凶悪な犯人でもないのに何故・・」「いよいよここで年を越して裁判までいなきゃいけないのか・・」と途方に暮れていた。
徐々に朝晩が寝ていても寒く窓から冷気が流れてくる頃になっていた。
差し入れがきた
留置場に入ると、まずそこの服に着替えさせられる。スウェット系のもので警察のストックの中から使いまわしている様子だった。
しかし規定もあるらしく、ひも付きのものはひもは外されていた。それで自殺などを防ぐ狙いらしい。靴下も丈の短いものばかりで寒かった。
ひもがユルユルなのですぐズボンが下りてきてしまいお尻が丸出し状態になってしまう事がずっとストレスだった。
そこに実家の親から、と言って服の差し入れがきた。ゴムもしっかりしていてさっそく新しいものに替えてもらった。この事で実家の親がどんな気持ちでいてくれているかも知れてありがたかった。弁護士先生とも連絡をとっているらしかった。
私が住んでいる町から結構な距離がある警察署の留置場まで何度も弁護士先生は足を運んでくれた。唯一の頼みだった。