20章 刑事裁判始出廷

人生

裁判に向けての準備

弁護士さんと裁判に対しての相談を何度か行った。自分自身として、入社してこの25年もの間、受けてきた処遇や会社の体制の不備やルール違反、何より不当に言い渡された減給の話などを延々まとめ、一番営業所として利益貢献をしてきたのにこんな目に合わされた会社への恨みも含めレポートを作成して弁護士さんに渡した。それを元に弁護士さんは法廷での弁護策を立てていくわけだが、どうしても短時間での淡白な対応に感じてしまった。

また弁護士さんの作戦として情状酌量として私の親にも出廷して、反省しているので今後への酌量を訴える事になった。

場数はかなりこなしている弁護士さんの様子で、もう裁判の結論へのシナリオは私にダイレクトに伝えないまでもイメージがあったのだと思った。この作戦を聞く限り、情状酌量をしていかずに真っ向から立ち向かって勝ちを得る、というのは難しかったのだろう。

「執行猶予付き有罪」判決で終わらせる、というシナリオが垣間見られたのが悲しかった。

初公判

この刑事事件での裁判は「公判」と呼ぶらしい。ようやくこの日を迎えた。内心裁判所の前にカメラとか来ていたらどうしよう、とか頭をよぎったが、当日は父と車で裁判所へ向かった。何も普段と変わらない裁判所であった。

法廷に入るとテレビで見てきたまんまの光景が飛び込んできた。公判という事は傍聴もできるわけである。意外と傍聴席には取り調べをした刑事や相手方の会社員やその弁護士、新聞記者らしき人物たちがいた。

弁護士曰く「この手の知能犯は地方ではもの珍しいので新聞なども興味しめすのだろう」との事だった。

「ひょっとしたら一回で終わっちゃうかも・・」と弁護士さんが言っていたので、その日のうちに結論が出るのかと思っていたが、法廷には私と共謀したとする元部下の二人が被告席に並んだ。元部下はまだ保釈をされずにいたらしく手錠をつながれたまま警察官に連れ添われて来た。それは親には衝撃的な光景だったと思う。

二人並べられてまずは、事実の確認ということで検察官から罪状の説明が長々あった。それを踏まえて裁判官から「間違いないですか?」と聞かれたので打ち合わせ通り「間違いありません」と答えた。

その後検察官の方から「二人同時に進めるというのは無理があるから一人ずつ分けて進めたい」という意見がなされ、まずは元部下の審判を行い、私の裁判は次回という事になった。

私は席から離れ、退室でも良かったのだが弁護士が「見ておいた方がいい」と言われ傍聴席で見る事になった。

元部下の弁護士による私への攻撃

元部下の弁護人はいわゆる無償で付く国選弁護人であった様子だった。相手方の会社の不備を質問形式で述べて、その後は私が元部下に指示した通り行った話で私が悪いので元部下は悪くない、という論法だった。

目の前で公私ともに世話をしてきたつもりの部下から「指示されてただけ」と全責任を私に振られているのを聞くのがきつかった。

まず検察から「求刑 禁固1年」とあり、すかさず弁護側から「執行猶予付きの判決を希望する」となった。お決まりの展開なのだろう。判決は10日後程になった。

その日はそれで終わり私の公判はさらに一カ月先になってしまった。またもどかしい時間を過ごすことになった。

新聞には記事となる

私の元部下の裁判はその結果と共に地元新聞には社会面でのる事になった。私が地元を離れて暮らしていればそうではなかったのだが、親戚や関係者には一連の経緯を知られるところになったのである。

元部下の判決での記事への書かれ様は、私の指示に従っただけ、という事で執行猶予付き判決を求めた、という内容だったらしい。

逮捕以来、新聞を見るのが怖くてずっと目を背けてきた。

 

 

 

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