13章 内容証明のみ、無反応状態

年が明け2月から入社が決まった。今までとは違う大学受験の予備校業務なので新しい知識も得なければならないので本部での研修前に事前に知識を勉強していった。前職で培った家庭教師派遣のノウハウは活かせないでいくことは前職には敵対勢力にならないだろうが自分としては残念な気持ちがあった。

相手方弁護士からの申し出が届く

それまでの会社が押収していったPC等からそれまでの私が行っていた副業の全貌を掴んだのだろう。相手方も弁護士を通じて私が個人名でやっていた「オプションの収入や、塾の銀行口座に入金された金額4300万程の金額を速やかに返せ」という内容だった。最後に「速やかに穏便に支払われることを望む」との匂わせぶりな表現だった。当然その内容はこちらの弁護士先生にも見てもらい、「返す必要なし」として次の相手の出方を見る状況にした。

自分自身は気が収まらないので、自分が解雇に追い込まれた行動の背景やその趣旨、先代社長の頃の状況などを説明して「現組織を維持する為での行動であった」事をお詫びとして二代目社長にも手紙を送るなどしたが全くの無反応であった。

この頃から郵便配達が配達にくるのが怖くなっていた。

転職開始、プライドを捨てての研修開始

2月から本部での研修も始まり、現場に戻ってもOJtが始まった。研修制度がしっかりしてはいなかったが年下の先輩社員に習い、馴染めるように努力した。私と共に入社した元部下もいたので感情を共有しながら耐えた。数カ月すれば地元で自分たち二人が教室長でやれる拠点をオープンできるという希望を元に過ごしていた。コロナ禍になり新規教室出店が延期される事態となり焦ったが、無事夏に新校舎を大々的にオープンさせた。FCの本部ブランドの力は強く新規開校から入塾者が順調に伸びていった。「やはり知名度が重要なのだ」と自分たちが一朝一夕で塾を出そうとしていたことも無理があったことや、その準備時間を取られてしまった前職の封じ手を痛感した。

結果も出始めたので仕事はハードだったが自分が拠点長だったので今まで通り自分の采配とペースで仕事ができたことが心地よく、結果も出てきたので、社内でも評価されマネージャーのメンバーにもなれた。何より、それまでの会社ではお客様をうまく騙して商売する内容で、世の中に胸を張れなかったが、この予備校では生徒や親御様から絶大な信頼を得らえ対外的にも看板の力は強く、誇らしく働けた。

ただ、会社のHP等で社員紹介で自分のプロフィールが表示されることで前職には「自分の現状も掴まれてしまうな」という不安はあった。

和解に向けた協議提案にも無反応・不気味

そんな中で私は弁護士と相談しながら、相手方に押収した私物の返却や話し合いの提案をしてもらっていたが相手からはなんの返答もなく時間だけがただ過ぎていった。弁護士も困り果て、労働審判を開くことで相手方を引っ張り出そうとした。あくまで攻めの姿勢の弁護士さんであった。

労働審判で相手方からの猛攻撃に会う

転職して半年たった夏に裁判所で私の前職における労働審判が開かれた。私はそこで何かの和解の話し合いが持てるものと思っていた。

しかし労働審判では相手方は弁護士二人できてここぞとばかりに私が会社に対してしていたのは不正だ、という攻撃を繰り出してきて、審判も私は管理職であり、休日出勤や深夜残業にはあたらない、という結論になってしまった。

劣勢になったがこちらの弁護士から和解金として「今口座に残っている2000万近い金額を支払うことで決着つけないか?」という提案にも「そんな額では済まない、しっかりとした法的手続きを踏む」という返答であった。

私はここでようやく結論が出る、と思っていたが現実は想像以上に厄介な事になっていっている事を感じた。しかし前職の先代社長がしてきたことを考えれば、なぜそこまで強気に出れるのだろう、と理解に苦しんだ。その後も相手側からはなんの連絡もなく時間だけが経過していった。

今考えれば、最初の申し出があった時点でいくらかを支払う行動をおこしていけば後々大事になるまでにはならなかったのか、それとも二代目社長やその取り巻きの私を今まで良く思っていなかったメンバーからの徹底的な潰しへの動きは避けられなかったのかも知れない。

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