22章 審判が下る

人生

ようやく公判日を迎える

転職活動の中でいくつか「来てもらってもいいよ」という内定をもらう会社が出てきた。一番しっかりしてそうな会社に行く覚悟を決めていた。「役員やってるとそういう目に遭いやすいから・・」と言ってくれた社長だった。給与は今までの本当に半分となってしまうが仕方ないと思っていた。その会社からも「結論が出たら連絡くれ、勤務開始はそれ次第」と言われていた。確かに本当に執行猶予がついて社会生活が出来るかは判決次第だからだ。

裁判日程というのは本当に時間がかかる。ようやく季節が変わり始める頃になって公判日を迎えた。この日は裁判所には自分一人で行った。

 

判決が下る

裁判官が現れると全員が一礼して始まる。淡々と「では判決です。主文・・」と始まり、「懲役1年2ヶ月執行猶予3年」と告げられた。

続いて裁判官から「執行猶予が付いたので、3年間何も問題を起こさなければ消えるので反省して社会生活を送ってもらいたい。」と私の目を見て諭すように言葉があった。なんだかジンときた。

共謀したとされる元部下は1年だったが、私は上司で首謀者ともされて2ヶ月増えた格好だった。実のところはもっと長くなるのかと思っていた。ただ執行猶予3年というのは長いな、感じた。いわゆる懲役1年2ヶ月執行猶予3年の有罪判決、となった訳だ。それまでニュースなどで他人事に聞いてきたフレーズだったがこんな罪人になってしまった。

聴取で二度ほどお世話になった検察官にも深々お辞儀をしてその場をあとにした。弁護士は最初からこういうシナリオになるだろう位の想定内の結論だったと言わんばかりに淡々としていた。

弁護士とは本当に、依頼に対してドライに対処していくだけなんだなと痛感した。

 

何も変わらぬ日々が始まる

家族に結果を告げ、実刑判決ではなく終わったことを喜ばれた。内定をもらった会社にも連絡をした。勤務開始は都合もありさらに1か月半先から、となった。こんな刑罰を受けたばかりの人間を採用してくれる会社の社長には本当に感謝の気持ちを持った。

独りぼっちの生活は変わらずあり、むしろこれからこの現実と向き合って生きていかねばならない覚悟を持つのが大変な思いだ。自分の弱音や後悔や怒りの感情も深く吐露する相手がいなくなってしまったので、この孤独地獄で生きていくことが何よりの懲罰と感じる。

会社法違反での刑事罰を受けた自分は、当分の間会社の役員にもなれずいくつもの資格取得なども欠格要件に該当してしまう。この為今までの様に稼ぐ事も出来なくなった訳だ。

死んでしまった方がいいのか?とはうっすら頭をよぎったが、さすがにそこまでの勇気は無かった。服用している安定剤のおかげもあったと思う。たまに本当にうなされる程の悪夢を見る事もあって自分のうめき声で起きる事もあったが、少し減ってきた気がした。

勤務開始までにやれる事はやっておこうと家の中の片付けなどをしながら、副業でやっていた会社の業務をしながら過ごしていた。

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