12章 懲戒解雇・計画が根本から狂う

会社の速攻なる厳戒態勢

「ひとまず自宅待機」とされた私は、こうなれば部下に任せようとしていた別の新会社で業務を成り立たせていくしかないと考えた。しかし正直、自分の計画からすれば徐々に新会社へは顧客を増やしていければと考えていた。少なからず現行の立場を利用しての準備だったので突然のDon’t Moveだったのと、会社がそのような動きを完全に封じる手立てを取ってきた。

つい昨日まで使っていたPCすら取り上げられてしまったし、残った部下にも疑いの目が向けられ完全に私との関係を閉ざさせようとアルバイトスタッフに至るまで事情聴取もどきの聞き込みをされてこちらのやろうとしていることを掌握されてしまった。

その中で私が信頼をおいてこの計画に共感して動いていてくれていた部下の社員も「自宅待機」とされてしまった。事務所には防犯カメラを取り付け、新会社として借りていた事務所にも様子を伺いにきていた。これは一足先に退社していた部下が、本社で不正の追及を受けた際に今後の計画も話してしまっていたからだった。

完全に攻め手を欠いてしまった

新規で開業して部下が代表でやる予定だった会社は、自分のこれまでの人脈を活かして、それまでの小中学生相手の塾ではなく高単価を望める高校生主体の塾であった。しかしストックビジネスであるので顧客は時間をかけて少しずつ増やしていく予定だった。

突如、計画が崩れてしまった私たちはひとまずこのビジネスを加速させていくしかなかった。教室もこだわって仕上げたが急遽現れた塾への関心はそう簡単にはいかなかった。広告やチラシ配布などやるべきはやったが反応はなかった。

残した若手部下も解雇に・・3人が路頭に迷う

自宅待機を命じられた若手の部下も解雇となり、結局私もふくめ3人が懲戒解雇となった。転職するにもこの処分だけで十分効果があるが、その時点では新会社を作った以上、それで軌道に乗せるしかなかったが社員3人が食える状況になるには通常でも相当な時間が必要だった。

当面の運転資金や給与は自分で出していくしかなかった。いつまで続けられるか・・これがテーマとなった。

残暑の暑い中、あれこれ駆けずりまわって試行錯誤していった。

3か月間で売上わずか、決断を迫られた

「このままではもたないな・・」という思いが強くなってきた。部下たちとも相談しながら、ひとまず代表になっていた部下だけ残して事業を継続させながら私と若手の部下は転職をするしかない、という決断をした。そのほうが前会社にとっても私が同業をすることで(厳密には塾なので競合はしなかったが)一番大きな顧客の基盤を乗っ取られるのを恐れ、その防御策を徹底していたので、ある意味私が負けて撤退することにもなるので好都合だろうとも思った。

それまでのキャリアを買ってもらえた

この数カ月の中で痛感したのはやはり、昨日今日登場した塾など相手にしてもらえず、やはりネームバリューがあるブランドが必要だということだった。その中で全国屈指の大学受験でのブランドがある大手FCに加盟して県内でFC展開している会社の代表と会い、私のそれまでの経歴や部下も含めて、すぐ展開できる、というメリットが受け入れられた。本当はその会社でのエリア代理店の様なカタチが望ましかったが、その会社自体がフランチャイジーだったのでそこの社員となるしかなかった。条件は私は前職よりも給与は減るが、若手部下は現状よりも高くなるし、すぐに自分の店舗を出店するということもあり、自分が活かせると思ったので転職することにした。

年が変わったら入社して、それまでに前職とは決着をつけておけばいい、と考えた。

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