24章 転職しての再始動、民事での戦い

人生

新しい職場・新たな暮らし

家族も仕事も失った。しかし生きていくしかない。しかも50代、いっそ自分で会社を興していった方が、とも思ったが、私の罰は会社法違反で数年は会社の役員にはなれない。ひとまず就職先を見つけ働くしかない。世間は冷たいが、その中でも「うちに来ていいよ」と言ってくれるありがたい人もいたので50代の新人として恥も外聞も捨てて生きていくことにした。

異業種だったので知らない事ばかりだったが、なりふり構わず教えを請いて勉強していった。収入は今までの半分になった。一人暮らしていけるのに本当にギリギリのところだが、新入社員とすれば仕方ない事とも思う。何せ今までのキャリアを活かせる業界はしばらく避けなければならない状況である。

一人分の食事をするのに金があれば外食などで済ませるが、自炊をしないといけない状況なので、今まで何もしてこなかったができる範囲の簡単な料理で腹を満たした。洗濯も掃除もこなしていくと意外と家事は忙しい。しかも一軒家なので家の管理(メンテや庭の手入れなど)も今まで余裕があった時に芝を植えたり植樹したりしていたものが負担となってきた。

民事での戦いは続く

新生活で悪戦苦闘している中でも同時進行でまだ相手会社との民事での裁判は続行していた。刑事裁判の過程で相手方に一部弁済として払っていたが、相手はこの結果も盾にとって全額要求の強い姿勢は変えなかった。私が主張した、違法な減俸、長年でのパワハラでの慰謝料、15年以上も昇給賞与なしで拠点運営をするプール金として考えた事

これらの主張は裁判所では、減俸は会社としてありえる、精神的苦痛ならすぐに申し出るべきである、劣悪な環境であれば辞めることも出来た、という判断であった。

弁護士からは「判決で支払額を確定すると遅延金が生じて長い年月が流れているから不利」「和解できる額で決着をつけた方が無難」という事だった。

「何故なのような詐欺まがいの事を強要してきて、健康診断すら実施しないようなアウトローな会社に自分が支払わねばならないのか・・」

本当に府に落ちなかった。刑事罰が下ってもやはり府に落ちなかった。しかしこの戦いを終結して早くすっきりさせ次の人生を歩みたい、という思いもあった。不正といわれて会社を辞めて5年、民事裁判が始まって2年、刑事告訴され逮捕起訴され有罪判決も受け、私自身も何とか薬を飲んでしのいでいるが、常に頭の奥にこの厄介な問題はあり、何かの拍子で自分自身が壊れてしまうのではないかという危惧も持ち続けていた。

正直今まで、会社の営業成績で表彰を受けたり、減俸される前の高給取りの時代に、浪費せず家族との老後の為に貯蓄しておいた金額があったので相手が望む額を支払うことは可能だった。しかし自分の中であの会社に今までの頑張って貯めた金を払う事がずっと長引かせる要因にもなっていた。

「この額を結局払うなら、最初から払って示談にしておけば刑事罰にまでにならず職や副業での裏切りにも会わなかったかもしれない・・」

今更悔やんでも仕方ないが、ある弁護士には「すぐ示談しちゃった方がいい」と言われたこともあった。そういう事なのだな、と痛感した。

裁判所からも「そろそろ和解してはどうか」ときていた。妥当な額が見えてきた中で弁護士からも「その額なら相手方も応じる」という額で了承した、相手側の弁護士も「その額なら」となったが、どうやら会社の二代目社長が難色を示してきたらしい。

私が会社を去って数年経っていたが、業績は確実に下がっていき拠点数も従業員も整理されていってるらしい。資金繰りもままならない状況らしい。また、それ以上に私に対する怨念の様なものをずっと感じていた。

若干の増額をして和解の合意となった。民事裁判では一切出席もせず主張を述べる事もなかったので、金を払って結論がついたが、「こんなにあっさりと長年の争いが終わるのだな・・」と感じた。

タイトルとURLをコピーしました