謝罪の日々
地元新聞でこの一連の流れは掲載されていたので、やはり新聞記事というのは多くの人が今だ目にするところなのだと再認識した。この一件で関わる全ての人に謝罪をして歩いた。家族にも土下座して謝った。親戚にも謝罪文を書いた。近所にも謝罪して歩いた。
その中でも人の対応は様々だった。やはり近い存在でそのような人間がいる事を疎む人もいた。親戚などにそう感じた。町内会でよく顔を合わす近所の方にも何とおわれているか・・人の不幸は蜜の味、という位だから当然多くの人からそういう蔑視されているんだろうと感じた。特に年配になればなるほどそういう傾向はあるな、と感じた。
ただ、私が本当に謝罪の気持ちを持っていたのは、元夫婦としていた家内や一人きりの子供に対してだった。この事件の一年前から別居をしていたが、唯一の自分の守るべき存在だと思って生きてきた。その二人から寄り添ってもらえなかったことは本当にこたえた。自分のせいだから仕方ない。むしろ一番近い存在として噂されてしまっている事が本当に申し訳なく思う。
裏切りに会う
収入も含め、頼りにしていたのは副業で関わっていた事業所だった。元妻が代表を務めていたが、実務で私も現場管理などをしていた。私の身柄が拘留されてからも離職者は出ず、何とかやりくりしてきてもらっていた。しかしこの報道をきっかけに世間からの噂などから今まで現場責任者として共に務めてきた人物が下の社員全員引き連れて一斉に離職したい、と反乱を起こされた。自身で独立して顧客もほとんど持ち出された。ある事ない事吹聴された。私が捕まったのは全く関係ない会社での話なのに勝手な話をでっちあげられていた。
事業も閉じる事になった。これで本当にこれまでの築き上げた収入源が閉ざされた。「身一つで生きていける生活をするしかない」覚悟を改めてもった。
長い付き合いでやってきた関係の仲間だと思っていたが、こういう立場になると離れていってしまう人や、むしろ牙をむいてくる人もいるんだと痛感した。
本当ならどこか遠くへ移住してアパートにでも暮らしていきたい、と思ったが今までローンを払って大事にしてきたマイホームを手放す気持ちにはなれなかった。そういう世間の目を受けながらも生きていこうと決めた。