保釈から3か月の日々
元部下の判決が2月中旬に出た。懲役1年執行猶予3年、というものだった。風の噂によれば元部下はその後は地元に帰ったらしい。私から「申し訳なかった」とメールをしたが無反応であった。
逮捕され保釈を受けてから3か月間もの間、何も動けないまま日々を過ごしかなかった。家の大掃除をしたり、庭の手入れをしたりと本当に独りぼっちで時間を過ごしていた。生活リズムだけはそれまでの夜型生活から朝起きれるように自制していった。
たまに実家に帰るが、親からも「仕事探さねば・・」という心配をされている事が少しプレッシャーではあったが自分でも焦りながら活動はしていた。
判決出る前での転職活動
ハローワークに相談しに行くと、どうやら私みたいな刑罰を受けた人間用の窓口があるらしく、その道の専門の担当者がついた。
担当者曰く、刑罰を受けたり、懲役刑を受けたりした人間にもちゃんとその後の仕事を紹介できる先があるらしい、土建業や清掃業などにはなるが、その中でも私は大学卒であり職歴としてもマネージメントも営業も結果を残せていたことを評価してもらい、営業やマネージメント職を紹介された。
しかし、その中で担当者からズバリ言われたのが、今やネット社会なので書かれていることはずっと残ってしまうから、転職するときに言っておかないといずれわかってしまう。それなら過去の刑罰も含め伝えた上で採用してくれるところにいった方がいい、今までの同業は知られるところになっているだろうからやめておいた方がいいだろう、と。
担当者が世話してきた人たちの中では、軽い事件の様だったが、前科者として見られて生きていくことの厳しさを言われてしまった。
何社か転職活動として応募したが、年齢もいっている中でもマネージメント経験が買われ書類は通って2次の面談の場にいけることは多かったが、私なりに正直にその身の状況を伝えると反応も複雑であった。
確かに、保釈されているだけで審判が下った訳でもない、場合によっては服役する可能性もあった訳なので、本当に勤務できるかも含め対応も難しかっただろう、と思う。
知り合いとコンタクトを取り始める
こんな時に気心知れた親友でもいれば相談も出来たと思うが、こうなって痛感したのは自分自身の周りには仕事関係での付き合いの人しかいなかった。旧友などは地元も離れていたのでどんどん疎遠になり、本当に腹を割って話せる友人がいない寂しい現状だった。
それでも今まで副業でお世話になっていた税理士さん社労士さんや関係先等、この度の件を報告とご心配をかけた事へのお詫びとして訪問した。既に地元紙での報道を知っていて、私が訪ねていくとむしろ「大変できたね、一罰百戒でしょうね」とフォローしてもらった。また副業は稼働していたので引き続き取引としても行っており、親身に対応していただいた。
さらに私が「本業は辞めたので転職活動しなければならない」事を伝えるとそれぞれが関係先の経営者をあたってくれて私を紹介してくれた。
中でも15年以上も付き合いのあったクルマ屋さんからとある営業職を紹介された。自宅からも近く、その社長さんは「会社員でも役員になればそういう目に会うことはある」と同情すらしてくれて、裁判の結果が出たら来てくれ、と言ってもらえた。執行猶予が付くだろうから社会生活はできる前提で話をしてくれていた。
この面接活動の中で経営者さん達から言われた同情の言葉がとても嬉しかった。しかし今思えば焦って仕事を探していたが、判決も出ない中で活動は早過ぎたと思う。